トップページ>乙訓古墳群・乙訓地域の古墳

乙訓古墳群・乙訓地域の古墳

「乙訓古墳群」とは、乙訓地域(長岡京市・向日市・大山崎町・京都市の一部)に所在する古墳時代(3~7世紀)の首長の古墳群で、13基の古墳が国の史跡に指定されています。

一つの地域で首長の古墳が継続して築造された事例は日本列島において稀なものです。これらの古墳の動向は、畿内中枢部(ヤマト政権)の大王陵の動向と軌を一にしており、古墳時代における政治的動向を示す縮図ともいえます。

 

 「乙訓古墳群」の13基、および、「乙訓地域の古墳」のうち、現存する古墳、現地に看板がある古墳、長岡京市立埋蔵文化財調査センターに遺物が展示されている古墳を写真で紹介いたします。

 

 

乙訓古墳群13基

No.1 天皇の社古墳

No.2 寺戸大塚古墳

No.3 五塚原古墳

No.4 元稲荷古墳

No.5 物集女車塚古墳

No.6 南条古墳(南条3号墳)

No.7 芝古墳(芝1号墳)

No.8 井ノ内車塚古墳

No.9 井ノ内稲荷塚古墳

No.10 長法寺南原古墳

No.11 今里大塚古墳

No.12 恵解山古墳

No.13 鳥居前古墳

 

乙訓地域の古墳

No.14 上ノ山古墳

No.15 伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵)

No.16 北平尾古墳群(北平尾1号墳)

No.17 カラネガ岳古墳群(カラネガ岳1号墳)

No.18 長法寺七ツ塚古墳群

No.19 舞塚古墳(舞塚1号墳)

No.20 今里車塚古墳

No.21 宇津久志古墳群

No.22 開田古墳群

No.23 大原古墳群

No.24 走田古墳群(走田9号墳)

No.25 鈴谷古墳群

No.26 塚本古墳

No.27 境野1号墳

No.28 土辺古墳


※下線のある古墳は、長岡京市立埋蔵文化財調査センターホームページの詳細情報へ

 リンクいたしますので、ぜひ、ご参照ください。


No.1 天皇の社古墳

古墳時代前期(4世紀代)の京都市内で最大級の前方後円墳(全長83m)で当時桂川右岸を支配していた豪族の墳墓と推定されます。

名前の由来は、地元で古くから「文徳天皇の御陵」と語り継がれてきたことによります。

現在は、公園として保存整備され、市民の憩いの場となっています。

No.2 寺戸大塚古墳

古墳時代前期(4世紀前半)築造、全長約98mの前方後円墳です。

斜面に葺石が施されており、平面には埴輪が大量に並べられていました。

埋葬施設は後円部と前方部から竪穴式石槨が一室ずつ発見されており、共に手厚く葬られる地位の高い人物だったと考えられています。

No.3 五塚原古墳

古墳時代前期初頭(3世紀後半)の前方後円墳(全長約91m)です。

前方部はバチ形で、箸墓古墳(奈良県桜井市)と共通の段築構造が確認されており、最古級の古墳と考えられます。

墳丘西端から出土した埴輪棺は4世紀中頃の「妙見山古墳」から運ばれてきたのではと考えられています。

 



No.4 元稲荷古墳

古墳時代前期初頭(3世紀末)の前方後方墳(全長約94m)です。「元稲荷」の名は、後方部頂上にかつて向日神社の稲荷社があったことに由来します。

兵庫県神戸市の西求女塚古墳と同形墳とされます。

墳頂には特殊器台形埴輪と大型複合口縁壺が並べられていたようです。

No.5 物集女車塚古墳

古墳時代後期(6世紀中頃)の前方後円墳(全長46m)です。

埋葬施設は畿内型の横穴式石室で、内部には二上山の凝灰岩で作られた「組合せ式家型石棺」があります。

石室の構造や副葬品から、埋葬者は6世紀前半に弟国宮をつくった継体大王と所縁が深い人物と考えられます。

No.6 南条古墳(南条3号墳)

南条古墳群は、7基の小規模古墳で構成されます。現在、地表面に残る3号墳は5世紀中頃に築造された推定径23.5mの円墳です。

同時代は、現在の京都市西京区樫原・山田地域の首長が政治を掌握し、向日市域にいた有力者は小さな方墳や円墳しか造れなかったようです。

  



No.7 芝古墳(芝1号古墳)

古墳時代後期(6世紀前半)の前方後円墳(全長約33m)です。

ヤマト政権の中枢部で採用され始めた最新式の横穴式石室が設けられており、継体天皇に協力した乙訓の有力者が眠っているのかもしれません。

史跡公園として整備され、2024年3月17日より供用開始されました。

No.8 井ノ内車塚古墳

古墳時代後期(6世紀前半)の前方後円墳(全長約39m)です。

この地域は、古墳時代後期になり、古墳の築造が始まり、芝古墳や井ノ内車塚古墳などの首長墓や周囲に小規模な古墳が築かれており、新たに台頭してきた政治勢力の有力者が葬られていると考えられています。

  

No.9 井ノ内稲荷塚古墳

古墳時代後期(6世紀前半)の前方後円墳(全長46m)で、後円部に「お稲荷さん」の祠があり、この名で呼ばれます。

横穴式石室は巨大な石材で造られ、全長10.2mと長大で、芝古墳、井ノ内車塚古墳と同様に横穴式石室や副葬品の多さから、有力な首長墓と考えられます。

  



No.10 長法寺南原古墳

古墳時代前期(4世紀後半)の前方後方墳(全長約60m)で長岡京市では最も古い古墳です。

後方部の竪穴式石室から6面の銅鏡などヤマト政権とのつながりを示す副葬品が複数、出土していることなどから、乙訓地域の権力者の盛衰を知るうえで重要な古墳といえます。

  

No.11 今里大塚古墳

古墳時代後期末(7世紀)に築造された乙訓地域で最後の大型古墳で、墳丘の形状は直径約45mの円形ですが、前方後円墳であった可能性があります。

埋葬施設は大型横穴式石室で、石舞台古墳や蛇塚古墳と類似しており、ヤマト政権の直接的な影響下に成立した古墳といえます。

  

No.12 恵解山古墳

乙訓地域で最大の前方後円墳(全長約128m)です。

表面には葺石がふかれ、埴輪が並べられ、後円部に竪穴式石室があったとみられます。

約700点にもおよぶ鉄製武器が見つかった例は全国的にも珍しく、5世紀前半頃に桂川以西の乙訓全域を支配した首長の墓と考えられます。



No.13 鳥居前古墳

古墳時代前期末(4世紀末ごろ)の前方後円墳(全長54m以上)で、竪穴式石室から画文帯環状乳神獣鏡や巴形銅器などの副葬品が多く出土しました。

これらの副葬品は、ヤマト政権の中でも有力な古墳から出土するものであり、乙訓地域の有力者の墓と考えられています

 

No.14 上ノ山古墳

京都市西京区山田地域では、古墳時代中期から後期(5世紀後半~6世紀前半)の8基の古墳が知られており、3基が現存します。

弥生土器や埴輪、狐をかたどった伏見人形などが出土し、信仰の場として引き継がれてきた場所と推定されます。

現在は公園として整備されています。

No.15 伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵)

長岡京を築いた桓武天皇の皇后のお墓で宮内庁陵ですが、元は古墳時代前期の円墳であったとされています。

直径約65mで、畿内の大型円墳の中でも上位の規模を占めます。隣接する乾垣内遺跡で出土した盾型埴輪は本古墳との密接な関係が推測されます。



No.16 北平尾古墳群(北平尾1号墳)

古墳時代後期の3基からなる古墳群で、1号墳から、焼き物で作られた棺おけ(陶棺)や金環が出土しました。

須恵質四注式陶棺は、屋根形の蓋、円筒形の脚が特徴です。

写真の陶棺と金環は、長岡京市立埋蔵文化財調査センターの展示品です。

No.17 カラネガ岳古墳群(カラネガ岳1号墳)

古墳時代中期・後期の4基からなる古墳群で、1号墳は、光明寺の北側の山中にあり、石室を見ることができる古墳です。

墳丘は半壊状態ですが、横穴式石室(両袖式)の保存状態は良好で、石室の全長は8.7m(玄室長3.3m、羨道の残長5.4m)です。

 

No.18 長法寺七ツ塚古墳群

  

古墳時代後期の群集墳で、宅地開発される以前は、田畑の中に7つの古墳が20mほどの間隔で一列に並んでいました。

 

現在、5号墳は公園のとなり、6号墳はマンションの駐車場に見ることができます。

 



No.19 舞塚古墳(舞塚1号墳)

 「舞塚」という地名だけが残っており、昭和54年の調査で存在が確認された古墳時代後期の帆立貝式古墳(全長約39m)です。

大量の円筒埴輪や人物埴輪などが発見されました。 

 

写真の人物埴輪は、長岡京市立埋蔵文化財調査センター展示品です。

No.20 今里車塚古墳

古墳時代中期初頭(4世紀末~5世紀初頭)の前方後円墳もしくは帆立貝式古墳で周囲には方形の濠がありました。

冑形・盾形埴輪や木の埴輪が出土し、日本で最初に木製の外表施設が確認された古墳で有名です。

写真の木製飾り板と冑形・盾形埴輪は長岡京市立埋蔵文化財調査センターの展示品です。

No.21 宇津久志古墳群

古墳時代中期の2基の方墳(一辺約7m)で、どちらも周囲に幅約0.6mの周溝を巡らせています。

様々な種類のガラス玉や家形埴輪など、たくさんの遺物が出土しました。

 

写真のガラス製小玉と家形埴輪は長岡京市立埋蔵文化財調査センター展示品です。



No.22 開田古墳群

古墳時代中期後半から終末期の古墳群で、25基前後の古墳が見つかっています。

一部、円墳なども確認されておりますが、ほとんどが一辺10m前後の小規模な方墳で、中には馬形埴輪や鶏形埴輪など多数の埴輪を持つものもあります。 

写真の馬形埴輪は長岡京市立埋蔵文化財調査センター展示品です。 

No.23 大原古墳群

古墳時代後期に、奥海印寺の北方の山腹に築かれた6基の円墳からなる古墳群です。

1号墳の横穴式石室から金環、土師器、須恵器、鉄鏃、人の歯などの遺物が出土しました。

  

写真の須恵器は、長岡京市立埋蔵文化財調査センターの展示品です。

  

No.24 走田古墳群(走田9号墳)

古墳時代後期末に、寂照院の付近に築かれた古墳群です。

9号墳の横穴式石室は、寂照院内に保存され、見学が可能です。

  

横穴式石室は首長墓に導入された後、小規模な古墳にも採用されたと考えられます。

  

  



No.25 鈴谷古墳群

古墳時代終末期(7世紀後半)の全長10m以下の小規模な古墳で、横穴式石室の副葬品の配置などから渡来系氏族との関係性も指摘されています。

 

この古墳の築造は、鞆岡廃寺や乙訓寺などの古代寺院の建立された時期であり、乙訓地域で最後に造られた古墳群と考えられます。

 

No.26 塚本古墳

古墳時代後期(6世紀初め)の前方後円墳(全長約30m)です。

周濠から多彩な埴輪(円筒・朝顔形・蓋形・盾形・大刀形・石見型など)が出土し、古墳の規模は小さいながらも大きな権力を持っていたことがうかがえます。

 

 写真の大刀形埴輪、石見型盾形埴輪は、長岡京市立埋蔵文化財調査センターの展示品です。

No.27 境野1号墳

古墳時代前期後半(4世紀後半)の前方後円墳(全長58m)です。

後円部から採取された車輪石・石釧や鉄刀は、副葬品の一部と思われます。

境野1号墳が立地する段丘は、南側を見下ろすことができ、淀川を行き交う人々からの眺めを意識して造営されたことがうかがえます。



No.28 土辺古墳

下植野南遺跡で発見された4世紀代後半の方墳(1辺13m)です。

方杖を持つ家形埴輪は、全国で初めて出土したもので、入母屋造り、高床式で、庇を支える方杖を8本持ちます。 

下植野南遺跡のムラは、淀川水系の中核として重要な役割を果たしていたことがうかがい知れます。